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2020年9月5日(土曜日)

山口県は防府市の
防府天満宮に到着。

時刻は午後2時21分。

周防の国の一之宮ではないが、ここに来たなら寄らないとね。


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周防の国の総社、国分寺の前を通っている旧山陽道沿いにあるんだね。

そして、ここ防府天満宮の所は旧山陽道と萩往還との分岐点でもあり、周防の国の中心地が防府だった事がうかがえる。


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古い絵図も一緒に乗せてある説明板。


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萩往還の碑。


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昔からある土産物屋もまだまだ健在。


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長い階段を登り参拝。

寝不足にはきつい・・・。

受験シーズンや正月には大変な人手だが、今日は平和だ。


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長い階段を下って行く・・・。

降りたところで、下関市の東横インに今晩の宿の予約を入れる。


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周防の国の一之宮「玉祖神社」に到着。
(タマノヤジンジャ)

時刻は午後2時59分。


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玉祖神社は祭神は玉祖命(タマノオヤノミコト)。玉造連(タマスリノムラジ)の祖神で天照大神の天の岩戸隠れの際、三種の神器の一つである八尺瓊勾玉を奉納された神様。


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参拝したら、長門の国の国府があった場所、長府に向かう。

そして、心配していた台風は一体どうなったんだと・・・。イベントは中止にしなくて良かったんじゃないかと・・・ここに来て話し合う二人だった。

だって天気は良いんだもん・・・。


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国道2号線をひた走り下関市に入る。

時刻は午後4時06分。

境目のローソンで小休止。

賀曽利さんはどら焼きを食べている。

自分はお腹回りが気になるのでブラックコーヒーだけにした。
(賀曽利さんも同じはずだが!!


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時刻は午後4時32分、長門の国の国府があった場所、長府に到着。

長府は今では単独の町ではなく下関市の一部となっている。


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とりあえず今居るのは長門の国の二之宮「忌宮神社」。


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長府の商店街の中にあった。

ここは表口ではないので・・・


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表口から改めて参拝。


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案内板には、仲哀天皇が熊襲征伐の際、七年間にわたり仮の皇居とされた豊浦宮の跡といわれ、宮に付属して斎宮を建て神祇を祭られたのが忌宮の起こりと伝わると書かれている。


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ここに来たのには参拝とは別の目的もあった。

それは町の案内板を見ること。

防府と違って長府にある国衙、国分寺、総社は判りにくい場所にある。


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国分寺は跡になっている。


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惣社(総社)は健在のようだ。

でも元々はこの場所ではないようだ・・・。


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国分寺跡、総社と位置がわかり、あと残るは国衙だけ。

でも載っていない。

何処なのか・・・。

忌宮神社の辺りではないかといわれているが、実際のところはまだ発見されていなくて不明なのだ。

ただ仮の皇居がこの辺りだった事を考えると国衙であったのではないかと思われるので、ここ忌宮神社を国衙跡とした。(他にも今では不明になっている所は沢山ある様です。)

※国分尼寺も不明が多く、ここ長門の長府も、先の周防の防府も不明です。


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忌宮神社に三拝。


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由緒書とビックリの電子絵馬!!

時代は21世紀だが、電子絵馬はちょっと・・・。


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鶏と鳩が仲良くしてる。


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摂社の稲荷神社。


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迷うかと思ったら、意外とすんなりたどり着いた国分寺跡。


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住宅街の小さな路地の交差点に建つ標柱。


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史跡の説明板。

ざっくりとこの辺りだとしか、やはり判らない。

大きさも一町(訳109m)四方程しかなかった様だ。


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この辺りであろうかと思われる場所で、VストロームとDR-Z400Sの写真を撮る。

周防の国の様に綺麗に整備され保存されているのは珍しいという事がよく判った。


この後、総社を探して住宅街を彷徨う二人・・・。

賀曽利さんが「長門の国はなかなか手ごわいんだよ~」と言っていたのが良くわかった。



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迷って地元の人に聞いてみる賀曽利さん。

地元の方は親切に教えてくださり位置を特定できた。

そして、元は現在の総社の位置とは別の場所にあった事も教えてもらえた。

それは行ってみなくてはというわ訳で、ここに来た。

現在は「長府毛利邸」となっている場所が総社のあった場所。

名前もズバリで長府総社町。


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勿論、ここも記録に残される。


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そして現在の総社に三拝。


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小さな境内にあった。


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由緒書。


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長府の現在の総社は住宅街の路地裏にあった。

道も狭く駐車場もないので、道端にバイクを止めダッシュして写真に収める二人だった。
(すいません!!

時刻は午後5時07分。

あとは一之宮だけだ。

その3に続く・・・。